オーケストラで演奏する魅力 人や曲との出会いが人生を彩る

音楽の魅力は、音による表現が言葉に代わり、時に言葉を越えて、人と人を繋ぐ魔法の力にあります。

意味と結びついた「言葉」ではなく、シンプルな「音」で構成された「音楽」は、直接ハートを揺さぶります。

音楽は、まだ言葉にならぬ、言葉の周辺にある表現しがたい思いをも伝えてくれます。

 

音楽の一つのジャンルであるオーケストラの魅力、それは何といっても様々なセクションの沢山の楽器の厚い響きの中にどっぷりと浸れる事でしょう。

ヴァイオリンやチェロ、ヴィオラ、コントラバスなどの弦楽器。

トランペットやホルンやトロンボーン、チューバなどの金管楽器。

フルートやオーボエ、クラリネット、ファゴットなどの木管楽器。

ティンパニーなどの打楽器。

そして曲によってはハープやピアノ、サックスなども加わる大規模な楽器群は、繊細な音から、ホールを突き破らんばかりの大音量まで、実に多彩で表情豊かな音が心をつかみます。

音のひとつひとつを担うオーケストラの奏者は、譜面に書かれた音符を、磨いてきた楽器演奏の技術によって、楽器から歌を紡ぎ出します。

それぞれの人生経験と、感性のフィルターを通して。

「表現したい」という人間の根源的な欲求は、指揮者の魔法の棒に導かれ、音に魂が宿り、個々の音がひとつの音楽エネルギーに重なった時、大きな音のうねりが、感動を呼び起こします。

一度そんな体験すれば、もうオーケストラの魅力を振り払う事はできません。

たとえ音大を出ていない、プロより技術の劣るアマオケであっても、魂が宿った音楽には、人の心を動かす魔法があります。

 

音楽にはJAZZやロック、ポップスをはじめ様々なジャンルがありますし、クラシックの中にも、吹奏楽や声楽、独奏など、沢山のジャンルや形態があります。

たまたま私は、その中でもオーケストラの魅力にとりつかれ、長い間体験を重ねてきました。

平日はサラリーマンとして会社で仕事をしながら、休日が来ればアマチュア音楽家として愛用のビオラが入った楽器ケースを背負い、いそいそと練習に出掛けます。

私がこれまで経験してきたオーケストラで演奏する魅力をお伝えできればと思って、このブログを立ち上げました。

最初の投稿は「オーケストラで演奏する魅力 人や曲との出会いが人生を彩る」と題してまとめてみました。

ようこそオーケストラの世界へ。

それでは早速、オーケストラで演奏する魅力を覗いてみましょう。

 

オーケストラで演奏する魅力 人との出会い

人生の主題の一つは人との「出会い」だと思います。

人との出会いこそ、人生に喜怒哀楽を伴う意味をもたらしてくれます。

オーケストラでの人との出会い

オーケストラで演奏する魅力の一つ目に、敢えて音楽コミュニティの中での人との出会いを挙げたいと思います。

オーケストラは、人との出会いを様々に演出してくれます。

オーケストラで演奏する魅力の、最も大きなものと言っても決して過言ではないでしょう。

オーケストラの総人数は、エキストラ(パートの頭数が足りなかったり、特殊楽器が必要な場合等に、団外から演奏に加わって頂く方)も含めれば、百人前後の大人数になります。

その大人数が、音楽の楽しさを求めて真剣勝負で挑む、趣味であるからこそまるで命をかけたように挑むオーケストラの中では、様々な人間ドラマが生まれ、人間関係が生まれます。

今年2019年、ラグビーのワールドカップが日本で開催され、チームジャパンの結束力が日本中に世界に感動を呼び起こしました。

目標に向かってチームワークの絆を深めるという意味では、オーケストラもラグビーの人間関係とちょっと似ているかもしれません。

勿論音楽は勝負事ではありませんし、肉体を酷使するわけでもありません。

しかし、オーケストラも、目標とするのは定期演奏会等で完成度の高い演奏を実現する事。

何楽章もある交響曲など、曲を披露する日に向け、何ヵ月もかけて挑み、メンバー同士力を合わせて精進してゆくオーケストラの姿は、あの大きな感動を与えてくれたラグビーと重なり合います。

しかしまあ、人間ですから、様々な個性が存在しますし、社会の常として、時に軋轢が生じ、理想のスクラムが空しく崩れてしまうこともあります。

オーケストラを束ねる代表の統率力とメンバーの人間力が鍵をにぎるのはラグビーのチームジャパンと同じです。

しかし、総じて私の経験上、音楽を通じた人間関係は、もうひとつの家族のような深い絆を築いています。

週に1度だけ会う、もうひとつの大切な大家族であり、運命的な出会いとすら感じます。

そんな場ですから、自然、団内結婚が多いのも不思議なことではありません。

オーケストラという組織を突き詰めていくと、企業運営に通じるところが多く、興味深いのですが、脇道にそれてしまうので、別の機会に書いてみたいと思います。

オーケストラの魅力 音に伝わる個人の努力

オーケストラのメンバーは、会社や家事など、それぞれに忙しい生活の中で、隙間時間をやりくりしながら、音楽上の課題を少しずつクリアして、完成度の高い本番演奏に向けて、コツコツと練習を積み重ねてゆきます。

当然ながら、各人の社会的立場により、音楽に与えられる時間は平等ではありません。

限られた時間をどううまくやりくりするかが求められます。

仲間の奏でる音を聞くと、音楽に向き合えた時間が多いか少ないかにかかわらず、その人がどれくらいひたむきに音楽に向き合っているかが感覚的に伝わってきます。

家族のような関係ですから、相手がどんな条件下で参加しているかは、おおよそ判っており、その中でどれくらい頑張ってきたのか音が語ってくれます。

特に弦楽器はトップ奏者が決める二人一組のプルトもしくはプルートという単位でペアを組みます。

演奏会で一緒に組むプルト同士は、一心同体、音づくりで、「存在」を最も身近に感じるパートナーです。

プルト同士が相乗効果を生めば、周りのプルトにプラスの影響を与え、音楽の結束力と信頼関係は強まります。

オーケストラ 広がるアマチュア人口とエキストラで広がる輪

かつて、それほど数も多くなかったアマチュアオーケストラも、現在は大変な数になっているようです。

どこの大学にも必ずといっていいほど、クラブ活動としてオーケストラはありますし、最近では高校でもオーケストラのある学校が増えました。

毎年、大勢のアマチュア音楽家が生み出され、アマチュア音楽家人口も増えるに従い、オーケストラは飽和状態になり、新しいオーケストラが次々に誕生しています。

オーケストラの中でも特に弦楽器、その中でもビオラは人口が少なく、トラ(エキストラの省略形)で他のオーケストラのお手伝いをする機会は多いのです。

二つ三つもオーケストラに参加すると、いつも不思議に思うのですが、新たに新しいオーケストラで知り合った仲間の友達が、自分にとってごく近い知り合いだったりする事が非常に多いのです。

かつてアメリカのどこかの州の実験で、無作為に手紙を書き何人目で自分の所へ帰ってくるか試したところ、2,30人の想定が驚くことに5名だったという事実を裏付けるような経験をします。

オーケストラ人口が広がり見えない仲間が広がることは大変嬉しい事です。

最近は、東京都内の電車で練習に向かう同じ車両の中で、ふと気付けば、オーケストラの楽器を抱えている人の姿を何人も見かける事が多くなりました。

知らず知らずのうちに人間関係の輪が繋がっているのです。

オーケストラの魅力 音楽の前では誰もが皆仲間

そして理想的な音楽コミュニティには、基本的に実社会のしがらみはありません。

社会的にどんなに高い立場にあろうとも、音楽の前では年齢も立場も超えて皆平等です。

練習が終われば、音楽という共通の価値観の中で、老いも若きも、社長も若者も、同じ目的を持った者同志として、共に酒を傾け、会話を楽しみ、何事にも代えがたい、かけがえのない人間対人間のひとときを過ごします。

又、指導して下さる指揮者や、各楽器やセクションの指導者としてお呼びするプロのトレーナーの先生とのお話は、お酒とともに心に沁み込み、音楽体験をさらに深めてくれます。

又、ピアノ協奏曲やバイオリン協奏曲、声楽曲などに取り組む時、共演していただくプロのソリストとのふれあいも、かけがえのない音楽体験であり人生の貴重な出会いです。

オーケストラの魅力 出演者からみた演奏会の風景

ここでちょっと演奏会の裏側の世界を想像してみてください。

アマチュアオーケストラが本番の日を迎える様子を。

 

個人レッスンや、オーケストラの練習の日々も、日一日と過ぎ、本番の日が近づきます。

緊張感も徐々に高まってきます。

そしていよいよ本番前日に。

大抵前日は、ゲネプロという本番を想定した通しのリハーサルを行い、いよいよ緊張度が高まり、集中度も高まります。

帰宅後、明日の本番衣装を準備し、練習の録音を聞いて譜面の最終チェックを行います。

早めに寝床に入るものの、ちょっと寝付けぬ夜。いつしか眠りに落ちて朝を迎えます。

衣装という、いつもの練習よりひとつ多い荷物を持って演奏会場に向かいます。

演奏会場に到着すると、楽屋に荷物を置き、会場スタッフとステージ上に管楽器ののる山台を組み上げます。

そしてステージリハーサルを行います。

まだ空っぽの客席に、お客様が座った様子を想像しながら。

いよいよ積み重ねてきた練習の最後の一回を終えると、ステージマネージャーから本番の段取りの説明があって、休憩に入ります。

あとは本番演奏を残すのみです。

コンビニ等で買ってきた軽めの食事をとり、早くも開場時間前に並んでいるお客様の様子を覗きつつ、次第に緊張の高まりを覚える中、控室で本番衣装に着替えます。

弓に松ヤニをぬり、楽器のチューニングを行い、ひとつ深呼吸をして気合いを入れ、舞台袖に向かいます。

刻々と本番時間が迫り、開場し、客席は次第に埋まってゆきます

予鈴のブザーが流れると、私語を止め、舞台へ出る順番に並びます。

緊張感の高まるなか、いよいよ本番を告げるブザーが鳴り響きます。

ステージマネージャーが舞台袖のドアを開け、舞台へ出るよう指示を出します。。

いよいよスポットライトの当たる眩しいステージへ歩を進めて着席します。

これまで、ともに練習してきた仲間の、今まさに本番を迎えようとする顔を眺め渡します。

奏者の中心であるコンサートマスターが登場し、静寂の中、オーボエのA(ラ)の音にあわせてチューニングが始まります。

まるで蝋燭の火が次から次に灯され明かりが広がるように、コンサートマスターからAの音が受け継がれ、オーケストラ全体へ音が広がってゆきます。

そして再び訪れる静寂。

その静寂の中を、コツコツという足音を響かせて指揮者が登場すると会場から聴衆の拍手が沸き起こります。

指揮者が一礼すると、再び本当の静寂と緊張が広がります。

指揮者のタクトが上がると、団員の視線は一点に集中します。

いよいよ本番演奏が始まれば、緊張も和らぎ日頃の練習の動きが体に戻ってきます。

あとは集中して演奏するのみ。

これまでの練習の日々を思い出しながら演奏に意識を集中します。

そして、ようやく前半のプログラムを終えると、お客様から拍手を受けて、舞台袖へ戻り休憩に入ります。

前半の演奏で、半ば上気した興奮を押さえメインの演奏に備えます。

控え室にもどってお茶やジュースを飲んだりして一時の弛緩の時を迎えます。

再び予鈴が響き、再び舞台袖に並んで静かに出を待ちます。

本鈴とともに再びスポットライトのあたる舞台へ。

チューニングし、指揮者が登場してタクトが上がります。

メインは交響曲などの長丁場となる大曲を演奏します。

1楽章から2楽章3楽章と進んで、いよよ最終楽章へ。

最終楽章の指揮棒が上がります。

数ヶ月取り組んできた曲もいよいよ最後の演奏となります。

クライマックスが近づけば自然団員のヴォルテージもあがります。

ラッパや金管が鳴り響き、全ての楽器が集結して渾身の思いを込めて演奏します。

興奮状態とどこか冴えた精神状態の中、オーケストラの音はうねりとなって一体となった音楽が響き渡ります。

心のどこかに終わりたくないという気持ちと、全てを出しきろうという相反するような思いに溢れ、最後の渾身の音が消えると会場から大きな拍手が沸き起こります。

演奏の出来が良ければブラボーの声も。

そして指揮者が楽器毎に立ち上がらせ拍手を浴びます。

演奏者にとって最も幸せな時間です。

大きな拍手を受けて、その後には共に緊張を乗り越えた仲間達と、打ち上げの美味しいお酒が待っています。

人との出会い お客様との出会い

アマオケの演奏に来て下さるお客様と、音楽を通じた関係が続けられることもまた大きな魅力のひとつです。

公演チケットはチケットぴあなどで販売したりもしますが基本、購入方法は出演する団員が販売もしくは差上げます。

お客様を集めて座席をいっぱいにする事は大切な団員の役割です。

実は、チケットをお渡しするとき、ちょっと気を使っているのも正直なところ。

義理立てして受け取って下さり、実は負担に感じていらっしゃるのではないかと心配しつつ。

空気を読みながら、いつもチケットをお渡しします。

しかし案外、普段縁遠いクラシック音楽を純粋に楽しんで下さる方が多いようで、次はいつ?と予定を押さえて下さり、固定客となって下さった方は大勢いらっしゃいます。

又、演奏会が懐かしい方との再会のきっかけの場となることも多く、友人から声をかけられて足を運んでくれた旧友との再会など、休憩時間や演奏会後のロビーは楽しい社交の場、再会の場となっています。

演奏会が繋ぐ人の和も、オーケストラで演奏する魅力「人との出会い」のひとつです。

 

オーケストラで演奏する魅力 曲との出会い

オーケストラで演奏する魅力はやはり様々な曲との出会いです。

音楽を続ける限り、いつまでも続く出会いです。

1年に、ほんの数回の演奏会を目指して頑張るアマチュアオーケストラにとって、演奏したい曲が尽きることはありません。

交響曲だけでも膨大な数に上り、オペラや交響詩や序曲、組曲、前奏曲などの管弦楽曲はいくら手掛けても、量の多さ、そして奥深さは尽きる事がありません。

又、指揮者の紹介などで、現代曲などの隠れた素敵な名曲に出会った機会などは、新鮮な驚きと喜びを感じます。

思い出の引き出しにある過去の演奏曲

ベートーベンやチャイコフスキーやブラームス、ドボルザーク等、定番の名曲であっても、学生の頃に初めて弾いた時と、その後、歳を重ねて弾いた時とでは、全く印象が異なり、それぞれの時が新しい出会いです。

まだ初心者の頃、みずみずしいエネルギーで夢中で取り組んだ演奏、そして年を重ね音楽理解も大分深まってじっくり取り組んだ演奏、それぞれにその時々ならではの美しい人生の響きがあります。

演奏当時の境遇、喜びも悲しみも音楽は吸収します。

心の中の、思い出の引き出しには、その時々ならではの心情を映した音色で、そっと豊かに音楽経験という財産は増えてゆきます。

そして確実に言えることは、これだけ大勢のメンバーが、全員揃って同じ曲を演奏することは二度と無いということです。

出産や転勤など諸事情で出られなくなる方、そしてこの世ではもう二度と会えぬ人も。

一回一回の演奏会は、大切なかけがえのない唯一無二のものなのです。

フィガロの結婚の冒頭を聞けば、それぞれの時代の思い出が、一緒に弾いた友人の顔がその時々の感情と相まって心に浮かびあがります。

演奏曲から広がる新しい世界

曲との出会いは、様々な新しい世界との出会いです。

次の演奏会で演奏するプログラム作品が決まれば、それがどんな曲なのか、作曲家がどんな時にどんな思いで作ったのか、理由や背景が知りたくなります。

作曲家の伝記や時代、その作曲家に影響を与えた芸術家、その国の文化など興味は尽きません。

googleや図書館等で出版物を調べ、想像と知識を広げてゆきます。

本棚が段々豊かになってゆきます。

その時代の美術展に足を運び、ジャンルの異なる芸術を、作曲家も感じたに違いない時代の空気を感じに行きます。

興味の世界は宇宙のように無限に広がってゆきます。

一度弾いた曲でも再会すれば新たな出会い

オーケストラの活動は、社会生活の傍ら時間を割いて取り組む訳ですから、希代の天才が全身全霊を込めて作曲した奥深い作品を、をアマチュアがたった一回の演奏会で極める事は出来ないでしょう。

長い間オーケストラ活動をやっていると、同じ曲が二度目三度目と巡ってきます。

その都度、まるで初めて手掛けるような発見や注目点があり、新たな出会いで理解は深まり、知識は増えてゆきます。

時々ふと思うのです。

その音楽を理解するのは自分の感性であり、その時々の自分が理解したり感じたものとは、つまるところ、実は鏡を見るように、その時々の自分自身と向き合っているのではないかと。

新たに手掛ける曲の聴き込み

次の演奏会で挑戦する曲が決まると、様々な演奏家によるおすすめのCDや名演と言われる演奏などを聞き比べます。

二度目、三度目に手掛ける時も、あらためて自分の演奏を想定して、じっくりと聞き直します。

通勤の行き帰りなどの隙間時間を利用してBGMとして聞きながら、曲に馴染んでゆきます。

 

昔はFM放送を録音して珍しい演奏をストックしていました。

それが今や、Youtubeやawaで聞きたい時にどこでも聞くことができ、全く便利になったものです。

聞き比べや、映像から弾き方の研究が簡単に出来るようになり、沢山の味見が可能になりました。

 

練習を通して音楽の懐に入る

勿論欠かせないのは個人練習です。

しかしその前に、音楽は歌うことが基本。

当たり前のようでいて、案外実は出来ていないことが歌うことです。

まずは自分の譜面を自然に歌えなければ音楽にはなりません。

譜面を読んでつっかえるようでは、歌は流れません。

難しいリズムや音程の小節は覚えてしまいます。

それから、どんな弾きか方をすれば良いのか理にかなった方法を色々と試行錯誤してみます。

そうして音楽の扉を開いてゆきます。

 

ちょっと横路にそれますが、個人練習を行う場所が悩みどころです。

弦楽器でもそれなりの音量がありますので、家族や近所の迷惑を考えると、なかなか自宅の部屋で練習するのは難しく、スタジオを利用したり、ドラマのようにカラオケ屋で練習します。

いつでも演奏できる自分だけの練習場所を持つことに憧れます。

 

初めての練習へ

そして待ちに待った、初めての練習の日がやってくると、楽器を背にいそいそと出かけるのです。

 

先ほど音楽は言葉の論理ではなく、音で直接心へ訴えかけてくると語りましたが、実は音楽は動機と呼ばれる音列の要素が極めて論理的に壮大に組み上げられた緻密な構造物です。

いい演奏をするためには、構造の理解が必要で、それをどのように紐解き演奏するのか指揮者の手にかかっています。

練習にはスコアと呼ばれる、全ての楽器の音符が書かれた総譜を見ながら、音楽事典を使用しつつ他パートとの絡み方などをチェックし理解し、オーケストラの練習の中で、体で覚えてゆきます。

指揮者の指導と音楽づくりを頭と体で覚えてゆきます。

 

音楽は極めて論理的な構造物ですが、基本は歌です。

繰り返しになりますが、音楽を表現するには、自分の声で歌えるかどうか、自分の感性がどうとらえるかによります。

決して機械的なものではありません。

感性とは自分の人生経験であり、自分の存在そのものに基づきます。

歌のない正確無比な演奏技術の完成形は、合理的で、理想形に酷似していますが、音楽とは似て非なるものでしょう。

 

オーケストラの音を合わせるということ

オーケストラは、指揮者の意図を理解し全員が一糸乱れぬ演奏を行うことで、高度な芸当が要求されます。

一糸乱れぬ、つまり縦の線があっているということです。

指揮者の指示するテンポにぴったりと乗っていることです。

音を合わせる為に必要なのはブレスです。

歌を歌えば自然に生まれるのがブレスです。

歌を歌う息を揃えるのです。

指揮者にコンマスがあわせ、コンマスに各パートのトップ奏者が合わせ、パートの各奏者はトップにあわせます。

トップ奏者を見ながら、指揮者と譜面と他の楽器を意識するという、聖徳太子のような集中力が要求されます。

そして縦の線を合わせるコツが息、ブレスなのです

そしてを合わせることで、人間は本能的に親密度は高まります。

 

オーケストラで取り組む曲は様々

演奏会も常にコンサート形式ばかりではなく、時にはオーケストラピットに入って歌劇(オペラ)やバレエの演奏を行うこともあります。

又、歌劇(オペラ)は舞台上でコンサート形式で演奏する事もあります。

いずれも、大きなプロジェクトとなり、なかなか得難い貴重な体験です。

 

又、コンサートで取り上げる曲は、いつもクラシックばかりではなく、時には映画関連の曲や、ポップス系の曲を特集として取り上げることもあります。

新たなジャンルに取り組む時は、新しい音楽との出会いと、新しい宝箱を開くワクワク感があります。

トップ奏者ソロのフレーズをを演奏することも

トップ奏者は重責ですが、最大のプレッシャーはソロです。

ビオラのような地味な楽器にも、例えばシベリウスのバイオリンコンチェルトなどで非常に重要なソロがでてきます。

大変な緊張を強いられますが、非常にやりがいのある貴重な体験です。

 

同じ譜面でも演奏は異なる

クラシック音楽に通じていない方から、同じ楽譜を演奏すると、皆同じ演奏になるんじゃないの?と聞かれることがあります。

クラシックでは、JAZZのようにアドリブを演奏するわけでもなく(正確にはないわけではありませんが)、基本的に譜面通りに演奏します。

同じ譜面であっても演奏は全く変わります。

作家が小説を書き上げれば、あとは読み解く読者の手に渡るように、作曲家が魂を込めて書き上げた譜面も、ひとたび完成すれば作曲家の手を離れて演奏家の手に渡ります。

解釈により表現は全く異なります。

譜面には沢山の指示記号があり、強弱の記号が例えば”だんだん強く”とか”だんだんゆっくり”だとか、作曲家によってはもっと具体的な言葉で表現の仕方について指示が書かれてあったりします。

しかし、どんなふうに強弱を演奏するのか、どんなふうにだんだん強く演奏するのか、フレーズの捉え方やテンポ感など、解釈は演奏家の手に、オーケストラでは指揮者の手に委ねられます。

指揮者が表現しようとする音楽を奏者は咀嚼して、奏者の人生と感性に裏付けられた理解によって音が生まれます。

同じ方向性をもちながらも、様々な人間の個性が、指揮者の表現しようとする同じベクトルに向かったとき、共鳴が生まれます。

 

それから、物理的に楽器の位置によっても音は変わります。

例えばビオラが舞台に向かって右手客席側に配置されるケース、同じ位置にチェロが配置されるケース、或いは古典の曲で同じ位置にセカンドバイオリンが配置されるケースがあり、それぞれ微妙に色合いが異なります。

 

演奏技術も古典の時代から格段に進歩しています。又、管楽器などは楽器自体の性能が向上し、ベートーベンが欲しくても出せなかった音が、今は出せるようになっています。

 

奏法の違いもあります。

バロックなど古楽を演奏する際、当時の演奏方法であるピリオド奏法で再現した演奏はまた全く様相が異なります。

 

同じ譜面であっても吹き込まれる命は全く異なるのです。

例え同じ曲であっても、一期一会の出会いなのです。

 

オーケストラで演奏する魅力 場所との出会い

オーケストラで演奏する魅力の3つめのキーワードは「場所」です。

音楽は作曲者と、演奏者と、お客様の3者により音楽として成立します。

お客様と演奏者が音楽を通じて出会うのが演奏を行う場所、音楽が成立する重要な場所です。

オーケストラで演奏する魅力として、音楽が成立する「場所」は切り離せません。

響きの良い音楽ホールを求めて

演奏場所と言えば立派な音楽ホールを思い浮かべますが、近年素敵な音楽ホールが沢山増えました。

オーケストラで指揮者が決まり、演奏会の日程が決まれば、いよいよ演奏場所を押さえます。

人気のあるホールは競争率が高く早々と、抽選で決まってゆきます。

いい演奏会場を押さえるのはなかなかに至難の技で、いくつも抽選落ちしてようやく会場が確保できます。

又、演奏会場どころか練習場所も最近とりづらく、結局練習を入れられない日も生じ、専用の練習場があれば、と常々思います。

練習場所はさておき、演奏するのなら、やはり響きの良い素晴らしいコンサートホールで日頃の努力の成果を発揮したいものです。

生音による演奏ですから、演奏会場の良し悪しは大きな要素です。

◯◯周年記念コンサートなど、オーケストラの記念となる演奏会は、たとえお金はかかっても資金を集めて日本有数のコンサートホールを借り、演奏会を開きたいものです。

最近は大学オーケストラも100年を迎えるところが多く、サントリーホールなど国内有数のかつ値段も高いホールで記念演奏会を開催している大学も多いようです。

最近は海外遠征する大学オケやアマチュアオケもあるようで、ヨーロッパの伝統あるコンサートホールで演奏する映像を見ると羨ましいと思います。

やはり音楽をやる限り、素晴らしいホールで行いたいところです。

音楽ホールに宿る命

人々の感動が生まれるコンサート会場には、長い歴史のなかで、人々が置いていった、その時々の感情やエネルギーが積もり積もって、そのホールの魂として宿っているのではないかと思います。

ヨーロッパの伝統ある古い劇場には、歴史的な名演奏や、教科書に残る音楽家が残した演奏のエネルギーが、今でも残り続けているのではないかという思いが頭をかすめます。

いつの日にか私もそんな命宿る場所で演奏してみたいという憧れを持ちます。

ちょっと話がそれますが、弦楽器も同様です。

弦楽器の命は人間よりも長く、アマチュアの使うような手頃な楽器でも、何人もの手を経て100年も200年も生きてきた楽器があります。

今は亡き前時代に音楽に情熱を傾けた人々の様々な思いが、楽器にもホールにも静かに宿っています。

 

毎年ウニューイヤーコンサートが開かれるウィーン楽友会劇場。

ヨハンシュトラウスなどのワルツやポルカ。

皇帝円舞曲や、お決まりの美しく青きドナウ、そして最後に観客の手拍子とともに演奏されるラデッキー行進曲。

年の初めの楽しいひとときです。

毎年新しい演奏の歴史が積み重ねられています。

どんな演奏場所にも命がある

演奏場所は必ずしも大きな伝統あるホールばかりではありません。

かつて小編成のアンサンブルで、宗教音楽を教会の素晴らしく響く空間で演奏した時の何とも心地良かった記憶は忘れる事が出来ません。

ちょっと面白い経験で、お祭りに野外の雑踏で演奏した際には、さすがに響きは得られないものの、お祭りの熱狂と一緒になって、通常の演奏とは異なる熱気と興奮と感動を味わったことがありました。

お天気に左右されますがクラシックにも野外の会場がります。

PMFの主会場となる札幌芸術の森野外ステージが知られています。

PMFはレナードバーンスタインが最晩年に設立した、若手音楽家を育てる為に、オーディションんで選ばれた生徒がベルリンフィルハーモニー交響楽団、ウィーンフィルハーモニー交響楽団など世界の一流オーケストラで活躍する音楽科から直接教育・指導され、演奏会で成果を披露する素敵な音楽祭です。

PMF、「パシフィックミュージックフェスティバル札幌」です。

 

もうひとつ忘れられないのは、小学校の体育館で行ったアマチュアオーケストラによる音楽教室です。

想像してみてください。

初めてオーケストラを目にしたらしい幼い子供たちの、キラキラと輝かせた目と、身を乗り出すように聞く姿を。

キラキラと眩しい感受性がオーケストラの音を小さな体いっぱいで受け止めているのです。

貴重な音楽体験として心に強く残っています。

子供たちの熱狂は醒めることなく、音楽教室が終われば、興奮した子供たちが門まで楽団員と手をつなぎ、別れ難そうに門から見送ってくれた光景は私の心に感動の映像として残っています。

オーケストラで演奏する魅力、これまで演奏してきた場所の空気館、舞台裏の木の臭いや、響き、人々の息使い、そこで共にした人々の記憶、音楽の大きな要素です。